2008/12/26 20:55
詩について語るのは難しい。小説や評論のようにはうまくいかない。
で、今回は最果タヒの詩集なんだけど、これがまたマイッタな……。
まぁ、中原中也の影響を受けてるんだねっていうのは、割とすぐ感じた。そこんところをうまく使って突破口にしようかと思ったけど、城門は固かった……。まぁ、これくらいの年頃になるとオニャノコもガードが硬いからな……(そんな話ではないw)。
最果タヒの詩は、ドルフィンジャンプのような爽快さがある。とても爽快で清々しい若さを感じるね! けっこう好きだよ!
最果タヒの詩は、コンテクストがもう破綻している(本人のホムペで詩が読めるYo!→
最果タヒ公式ホムペ)んだけど、それは多分、映画や小説にあるコンテクストについてのアンチテーゼなんじゃないのかな。コンテクストという既存の枠っていうものは、イデオロギーにも通じる。価値観の多様化で、あらゆるイデオロギーは崩壊していることが叫ばれて、久しい今日。つまりー、作品の、テーマや思想、小説(映画)の枠組みは、もろとも燃えるゴミの日にこっそりゴミ置き場に捨ててきちゃいましょうってこと。
じゃあ、あとに何が残るのんだ? たぶんフィーリングだと思います。
そもそも、『構造と力』(ちなみに私は未読です。)で一時代をときめいた浅田彰って頭の良い人がいるらしいんだけど、その人はその時代の知識を全て持ってて理解してたんだって(なんて都市伝説的なエピソードなんだww)。でもそんな人でも、90年代以降のサブカルチャーの隆盛、ネット時代が到来すると、人々がいろんな考え方を持っていることがわかって、それはとても把握できない分量だって分かったんだ、ってどっかに書いてあった。
つまり、大きな共同体(国家レベル)を強固な一枚岩にするための、テーマやイデオロギーがリアリティを無くしている。簡単に言うと、お呼びでない。
イデオロギーやコンテクストは信じられないのだ!
(それを強力に押し進めたのが、最果さんなのかな?)
そういう若い人たちの間で、なおかつ変わり者である最果タヒは、そういう変化に敏感であった。なので、最果タヒはコンテクストを自分で作って、自分の言葉とともに、想いを詰めこんだワケなんだろう。